傀 儡 師 故 跡 
 

   

歌にあわせ、首からさげた箱を舞台に傀儡(くぐつ)(人形)を舞わす
芸から、やがては人形浄瑠璃などの芸術が生まれたと言われています。
                   出典:西宮観光ガイドマップ

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なお、現場の案内板および銅像の下には次のような文が記されています。
[案内板]                             
傀儡師故跡                            
この附近は昔産所といわれた所で1690年頃には40軒程の傀儡師(人形操
を業とする者)が住んでいた。                   
傀儡師は遠く平安末期に現れ傀儡師、木偶(この偶の字は、現地では「人
偏に禹」です。)まわし、人形まわしなどと呼ばれ諸地方を巡廻興業して
いたが室町時代にはいるとその一部がこの産所の地に住みつき西宮神社の
雑役奉仕のかたわら神社のお札を持って諸国を巡り、お得意の人形を踊ら
せながらご神徳をひろめた。                    
1590年頃にはその人形芸が「えびすかき」又は「えびすまわし」といわれ
て全国的に知られるようになりたびたび京都の宮廷で天覧を受けるまでに
なった。さらにその後発展して淡路の人形屋や文楽人形浄瑠璃芝居へと成
長していった。                          
しかし1850年頃から彼らはおいおいこの地からなぜか姿を消してしまった
おそらくは世相の変遷や好みの変化によるものと思われる。      
傀儡師らは永らくこの産所の地に住み祖神を信ずる百大夫を崇拝して神社
にまつり守護神としたがその社は産所の地が1840年頃に衰微するに至った
時すぐ近くの西宮神社の境内に移されて現存している。        
                       昭和63年3月31日
[銅像の下]                            
人形操り発祥の地                         
傀儡師は一名くぐつ師とも云い人形まわしのことであります。現在もこの
地を産所と云いますが中世以来西宮のゑびすさまに使われる人形まわしの
一団がこの附近に定住し傍ら全国津々浦々に人形をあやつりながら戎神の
神徳をわかりやすく説いて廻りました。室町時代の末には京都の宮廷にも
参入して上覧に供したことが屡々語録に見え、またここの人形芝居の小屋
へは尼崎城主松平候の息女たちも度々見物に来当時一般の大衆に歓迎され
てなかなか盛大であったのが幕末の頃から衰微して遂に惜しくも消滅して
しまいました。西宮から操の技を伝えたと云われている淡路や大阪文楽座
の人形浄瑠璃はわが国固有の伝統芸術として尊重され今日に至っているの
であります。                           
                  西宮神社名誉宮司 吉井良尚 撰